柿林について
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民泊をはじめるまで
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この家は、土山瓦の製造・販売業を営んでいた坂本文蔵によって明治8年に建てられました。
平成7年、母屋の新築に伴い、旧宅を一部残して解体し、新築の母屋とつないで新たな玄関を付けて今の形となりました。子育ての時期は2代目祖父母を含めて7人家族で使っていましたが、今は家族が減り、この家も使用する機会が減りました。
2016年の熊本地震の強い揺れによって、柱が歪み、窓枠が外れ瓦も落ちて無残な姿になりました。修理するかどうかについて、被災直後は迷いましたが、被災後4年たってやっと敷地内の蔵と共に、復元に至りました。ふと気付いたら、周りの古い瓦屋根の家はほとんどが残されずに解体されていました。
その後は、たまの来客や、地震がご縁で地震の調査研究のために訪れる研究者や学生達にこの部屋を提供してきました。長期に滞在して、畑地に穴を堀り、断面の地層を調べて熊本地震の解明に繋がる研究をされた方は、毎日泥まみれになって帰って来られていました。
そんな時、益城町で民泊事業をする事で、古民家を守り、町で宿泊するお客様を受け入れて、町の復興に役立てていこうというお誘いを受け、おそるおそる加わる事にしました。
とりあえず開業した2025年で、ここも築130年となりました。初代 坂本文蔵が見ていたなら、きっとこの事業に賛成してくれると思います。
ここでの暮らし
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古い庭には、樹齢200年にもなる自然樹形の槇の木が2本、そびえています。それらを筆頭に、柿の木、楓、山茶花、樫の木、つつじ、梅、椿、山茶花などが四季折々の表情で語りかけてきます。
家の北側にある自家菜園には年間を通じて多種類の野菜を作っています。ちょっとした高台にあるため、朝陽は飯田山の山の端から登り、夕方は遠く金峰山、雲仙普賢岳と共に、小池台地の向こうに沈む美しい日没が楽しめます。
蒸し暑い夏の午後でも、たいては熊本平野から吹く西風が、心地よい涼を運んできて一日の癒やしとなっています。夜は、街の光は遠くに見えるものの、沢山の星が瞬いて、これまた季節の星座を観察するのにもってこいです。
公共交通は不便ですが、車があれば、九州各地へのアクセスは良いです。ここから500m程の、九州中央自動車道 小池高山ICから入ると、東西南北の九州各地へは容易に訪れることができます。阿蘇熊本空港へは20分、JR熊本駅へは混雑具合では25分から40分の位置にあります。天草方面へは、高速道路が使えないため、1時間以上を要します。
ここを拠点にして、ご家族、グループで県内、宮崎県高千穂など観光するのも便利なロケーションです。日中も静かで、ゆっくり寛いだり読書やお仕事、研究がはかどります。
屋号「柿林 」(しりん)の由来は?
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校区の飯野小学校では、代々「柿林」という名前の卒業文集が作られています。第二次世界大戦後、食べ物に困らない様にと、学校内に柿の木を植えたことから、この名前を卒業文集につけて、大切にしているようです。
我が家では、もっと古く戦前から、柿の木の他にも、梨、栗、ざくろなど色んな果物の採れる木が敷地内のいたる所にありました。
戦後は、それらをずいぶん減らしましたが、中でも縁起の良い木とされる柿の木が毎年実をつけています。
時期をずらして早くから遅くまで楽しめる甘柿、干し柿として保存して食べる渋柿を合わせると、家の周りには、全部で29本の柿の木があります。
大小の柿の木に囲まれて、今の我が家があります。これも、先祖が残してくれた恵みとしてありがたく思い、感謝して、屋号を柿林と名づけました。